下関は粒うに発祥の地 History 下関のうにの歴史 海に囲まれた水産都市下関を代表する名産の一つ、雲丹(うに)。 下関における雲丹の食文化の歴史は昔を遠くさかのぼり、下関市安岡の潮待貝塚からは、約5000年前の縄文時代の雲丹の化石が見つかっています。 下関の雲丹は瓶詰めに加工した製品が有名で、全国に知られるこの「瓶詰めうに」の元祖は六連島(むつれじま)にあります。 六連島は肥沃な大地に恵まれ農業に適していたため、周囲を好漁場の海に囲まれていたにも関わらず、漁業よりも農業に注力してきたという歴史があります。その一方で、農閑期には副業的な磯漁業として、雲丹をはじめ、アワビ、サザエの貝類や海草の採取を毎年続けてきたのです。 明治初期、六連島の西教寺に住む蓬山和尚は、ある日英国人の水先案内人と楽しく談笑していました。その際、誤って雲丹の小鉢にジン(アルコール)がこぼれ、それを試し食べた蓬山和尚はその美味に感嘆。この出来事がきっかけで、新たに焼酎を振りかけて作る長期保存法を編み出し、まろやかな「アルコール漬けのうに」が誕生したと言い伝えられています。 その後、明治末期には、六連島の雲丹は、六連島うにから下関うにへと飛躍的に発展してきました。 恵まれた海に囲まれた下関は、雲丹の「粒うに」の故郷としても知られています。現在山口県は、塩うにを含めた瓶詰めうにの生産量が日本全国の約4割を占めています。 下関市の赤間神宮での「うに供養」の様子。海に囲まれた水産の街・下関では、うにに限らず海の恵に感謝し豊漁を祈願する供養祭などが毎年行われています。